私は東日本大震災と、私を含む人間が大嫌いです。
私は中学3年生にもなって人間不信を患っています。
そして私は自殺未遂者です。

私の人生が大きく変わったのは小学2年生のときでした。父の転勤によって遠くに引っ越すことになり、クラス主催のお別れ会が2日後に迫った頃、東日本大震災が起こりました。
私の家はギリギリ津波に飲み込まれなかったため、引越しは予定通り行われました。なので「さよなら」を言えず、クラスメイトに会うことも出来ませんでした。
荒地になった故郷の復興に携わることができなくて悔やむ私に対して、「大変だったね」と哀れむ先生や近所の人たちに、私はひどく怒りを覚えました。
大変なのは現地の復興をする人たちだ。荒地になってしまった土地を見る人たちだ。学校に行けない私の友達だ。
そんな小学生の声は、誰にも届いてくれませんでした。

転校して半年が経ち、転校生というレッテルが剥がれ始めたころ、私は孤立するようになりました。転校先のクラスメイトに飽きられてしまったからです。無理やり会話に混ざろうとして「うるさい黙って」と言われたのは今でも鮮明に覚えています。それがきっかけで不登校になったのも、昨日のように思い出せます。

翌年、不登校のままではいけない、と焦りが出たのか、両親は単身赴任を決意し、私はもとの土地に戻れることになりました。
肩身の狭い空間から解放される。そう思いました。思っていました。
私の友達はなにも語ってくれませんが、現地の復興はかなり大変だったそうです。私が不登校になっていた半年間も、現地の復興で授業が遅れていたみんなは必死に勉強をしたと聞きました。
また息苦しい毎日が続く。
でも、両親の期待や兄弟に迷惑をかけた責任があるため、不登校になる訳にはいきません。
性格が変わってしまった親友に裏切られても、半年間の勉強の遅れが苦しくても、独りが寂しいと思っても、私はその
重荷に耐えてきました。

3年後、小6の私はリストカットをするようになりました。死ねたらラッキー程度の扱いで、東日本大震災の話題が出るたびに頻度が増していきました。
そのとき、分かってはいたんです。この恨みはもう、東日本大震災に対してのものじゃない。世間を嫌いになった自分への怒りだということは。

中1になり、ついに自殺未遂者になりました。この世界のなにもかもが嫌になり、コンビニのカッターで思いきり腕を切りつけました。痛くはありませんでした。大量の鮮血と、傷口から見える血肉と骨が、とても怖いと感じました。思い出すたびに涙が出ます。左手の手首が無くなった気分になります。触れて確かめないと不安な気持ちになります。
ですが、誰にも相談できません。
リスカに対する私の気持ちを、誰も知りません。

そして現在、人間不信を患っていることが判明しました。人と話すのが苦手、本音を打ち明けられない、自分が嫌い、など。
学校生活では、普通と言っていいほど平凡な生活を送っています。
テストの点数で一喜一憂し、色恋の話に盛り上がり、行事に本気になり、受験のための準備をする。
けど、正直どうでもいいです。
私が劣っているのは当たり前だし、実を言うと色恋に興味は無いし、本気にならないと教師がうるさいし、受験に落ちても死ねば終わりだし。

人間とは、世界から疎外された生き物です。
人という字は、1画目が人生を。2画目が逃げ道を示しています。
私は、この宇宙の中のちっぽけな存在です。

質問です。
殻を被り続けた私の本音はどこですか?
トラウマや、投げやりな心構え、足枷や柵はどうすればいいですか?
人という字は何に寄りかかっているんですか?
私はなにを質問して、なにを治して、なにをすればいいですか?

もう満足です。
言いたいこととか、本音とか、打ち明けられないことを言えて大満足です。
所詮は思春期の長文なので、日が経てばきっと治ると思います。
悩ませてしまい申し訳ありません。

私が一番聞きたいのは、東日本大震災についてです。
私は以上に記載した通り、話を聞く度に自分への嫌悪が酷くなります。
皆さんはどのように感じていますか?